地動説が社会全体の揺るぎない常識として定着するまでには、コペルニクスの提唱から実に300年近い歳月を要しました。その決定打となったのは、理論面におけるニュートン力学の確立と、観測面における光行差・年周視差の実測です。
アイザック・ニュートンは1687年の『プリンキピア』において「万有引力の法則」を発表し、なぜ地球が太陽の周りを回り続け、地上の人間が宇宙空間に投げ出されないのかという力学的根拠を数学的に証明しました。そして1728年、ジェームズ・ブラッドリーが光の有限速度と地球の公転によって生じる「光行差」を発見し、1838年にはフリードリヒ・ベッセルが白鳥座61番星の年周視差の測定に成功して地動説の最終証明が完了しました。
【地動説の歴史 年表まとめ】古代の萌芽から現代まで
紀元前3世紀頃:アリスタルコスが太陽中心説(最古の地動説)を提唱するも受け入れられず。
約150年:プトレマイオスが天動説を集大成(『アルマゲスト』)。
1543年:コペルニクスが『天球の回転について』を刊行し、地動説を提唱。
1600年:ジョルダーノ・ブルーノが異端審問によりローマで処刑。
1609年:ケプラーが惑星の楕円軌道に関する法則を発表。ガリレオが望遠鏡観測を開始。
1633年:ガリレオが第2回宗教裁判で異端の嫌疑により有罪判決、地動説の放棄を誓わされる。
1687年:ニュートンが『プリンキピア』を発表し、万有引力による天体運動を理論化。
1728年:ブラッドリーが光行差を発見し、地球の公転が観測的に裏付けられる。
1758年:ローマ教皇庁が地動説に関する書籍の禁書目録指定を実質的に解除。
1838年:ベッセルが恒星の年周視差を世界で初めて観測し、地動説が完全立証される。
1992年:教皇ヨハネ・パウロ2世がガリレオ裁判の誤りを公式に認め、ガリレオの名誉を回復。