多くの読者を惹きつけ、同時に当惑させてきたのが、第11章で描かれるあまりにもあっけない結末です。愛嬌あふれる語り手であった猫の名前は最後まで明かされることなく、その命を閉じることになります。
猫が迎えた悲劇的な最期と死因は、事故による「水死(溺死)」でした。ある夏の夜、苦沙弥邸で開かれた宴のあと、猫は好奇心から膳に残されていたビールを盗み飲みして泥酔してしまいます。千鳥足で庭に出た猫は、誤って雨水をためた大きな水瓶(甕)の中に落ちてしまうのです。
必死に爪を立てて這い上がろうとするものの、滑らかな瓶のふちに足が届きません。もがき苦しむ中で、猫は以下のような深遠な境地に至ります。
「苦しいから藁をも掴むのである。掴む藁がないから爪を立てるのである。爪を立てる力も尽きれば、沈むよりほかに分別はあるまい」
抗うことをやめ、水に身を委ねた猫は、「太平の逸楽は死なねば得られぬ。死んで太平を得るのである」と悟り、最後に「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい」という言葉を遺して静かに息を引き取ります。
連載当時、高浜虚子をはじめとする周囲は猫の生存と連載継続を望みましたが、漱石自身は執筆意欲の限界や他作品(『坊っちゃん』など)への移行を見据え、この衝撃的な幕引きを選びました。じたばたともがく近代人の生への執着をあざ笑うかのように、静寂を受け入れていく猫の死は、漱石文学が抱える「生の苦痛と死による解脱」という根源的テーマを先取りした結末と読み解くことができます。