原敬をめぐるネット上の評価は、しばしば二極化する。「理想の政治家」「清廉な平民宰相」という賛美と、「結局は利権政治家」「弾圧者」という批判だ。どちらも一面の真実を含みながら、実像からはズレている。
誤解1:「原は庶民の味方だった」
確かに原は爵位を持たず、庶民からの人気は高かった。しかし彼が主導した積極政策は、公共事業を通じて政友会の支持基盤を固める側面も強かった。原は理想主義者ではなく、徹底した現実主義者だった。庶民感情を利用することに長けた「選挙のプロ」だったと見るのが正確だ。
誤解2:「原は普通選挙を実現した」
これは完全な誤り。原は選挙権を拡大したが、普通選挙には反対の立場を崩さなかった。普通選挙法が成立するのは、原の死後、1925年の加藤高明内閣においてである。原の選挙改革はあくまで「制限選挙の拡大」であり、一歩前進ではあったが、民主化の完成には程遠かった。
誤解3:「暗殺は突発的な単独犯行」
単独犯行である可能性は高いが、「突発的」ではなかった。中岡は犯行前に原の動静を調べ、東京駅での待ち伏せを計画していた。思想的動機に基づく計画的なテロであり、当時の「政党政治を許さない」という国粋主義的潮流の中で起きた事件だった。この構造的な背景を無視すると、事件の本質を見誤る。
【プロの結論】政治社会学の視点から見るべき教訓と、この歴史から得るべきもの
政治学者や歴史社会学者の分析を総合すると、原敬の生涯から導き出される最大の教訓は、「制度を作る者と、その制度を運用する者は必ずしも一致しない」という逆説だ。原は政党政治という器を初めて本格的に機能させたが、その器が生み出す腐敗を制御することはできなかった。そして、その腐敗への怒りが、彼自身の命を奪うことになった。
歴史社会学者の間では、この構図を「政治システムの制度化と正統性のジレンマ」と呼ぶことがある。制度が安定すればするほど、その制度に内在する腐敗や歪みへの批判が鋭くなる。原はまさに、自らが築いた制度の「負の側面」によって倒れた最初の政治家だったと言える。
心理学的な観点では、原の「自分は殺されない」という楽観は、権力者の典型的な認知バイアスとして分析できる。彼は自分が民衆から支持されているという感覚を持っていたがゆえに、「自分に限って」という正常性バイアスが強く働いた。この心理的メカニズムは、現代の組織リーダーや経営者にも通じる教訓を含んでいる。