大久保利通暗殺の真相|紀尾井坂の変の動機と西郷隆盛の手紙の謎

大久保利通暗殺の真相|紀尾井坂の変の動機と西郷隆盛の手紙の謎

今注目を集めている 大久保利通暗殺の真相|紀尾井坂の変の動機と西郷隆盛の手紙の謎について、多角的な視点をご紹介しています。

Q1:大久保利通が暗殺された現場は現在のどこにありますか?
A1:東京都千代田区紀尾井町の「清水谷公園」付近です。公園内には、大久保の業績と非業の死を悼んで明治21年(1888年)に建立された高さ6メートルを超える巨大な顕彰碑「大久保利通哀悼碑」が現存しており、現在でも多くの歴史ファンが訪れています。

Q2:暗殺の実行犯である島田一郎らはその後どうなりましたか?
A2:島田一郎ら6名は犯行直後、赤坂仮皇居へ出頭して自首しました。その後、司法省での迅速な裁判を経て、事件からわずか2か月半後の明治11年(1878年)7月27日に死刑判決が下され、即日市ヶ谷監獄にて斬首刑が執行されました。

Q3:なぜ大久保利通は護衛を付けずに移動していたのですか?
A3:大久保自身が「天命に身を任せている」「国家の大事に際して個人の保身のために警備を増員するのは見苦しい」という強い矜持を持っていたためです。暗殺数日前にも不穏な噂を耳にした知人から警告を受けていましたが、大久保は笑って取り合わず、普段通りの軽装で登庁していました。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。