旧本多忠次邸の歴史を紐解くうえで最大の謎となるのが、「なぜ東京・世田谷にあった私邸が、愛知県岡崎市に存在するのか」という点です。その答えは、江戸時代から続く旧岡崎藩主・本多家の深いルーツにありました。
施主である本多忠次(1896〜1999)は、徳川家康を支えた猛将・本多忠勝を祖とする旧岡崎藩主本多家の分家・子爵家の当主です。忠次は昭和7年(1932年)、東京府荏原郡駒沢町(現・東京都世田谷区野沢)の約1万5,000坪におよぶ広大な敷地内に、日光や風通しを徹底的に考慮した自邸を建設しました。
忠次が世を去った後、平成の都市開発や相続の過程で邸宅の解体危機が浮上します。しかし、昭和初期の上流階級の住宅建築として極めて価値が高いことから、保存運動が巻き起こりました。そこで浮上したのが、本多家の旧領地であり、歴史的絆を持つ岡崎市への部材寄贈という選択肢でした。
岡崎市は2000年代に解体部材の寄贈を受け、丁寧な調査と保管を経て、2012年(平成24年)に風光明媚な東公園内へ移築・復元工事を完了。2014年には国の登録有形文化財に指定され、旧藩主家と城下町・岡崎を結ぶ歴史的モニュメントとして恒久的に一般公開されることとなりました。