1990年代後半、彼女のスケジュールは超過密を極めていた。出れば当たる。主役を張れば視聴率は30%を超える。世間が求めたのは「可憐で懸命なヒロイン」の像だった。だが、本人はその狂騒の渦中で、どこか冷ややかな客観性を保ち続けていたという。あまりの多忙さに自分自身を見失いかねない危機感。彼女が選んだのは、安易な成功体験の踏襲ではなかった。
アジア映画への単身乗り込みや、インディペンデント作品への積極的な参画。テレビ界のトップランナーが自ら「過酷な現場」へと飛び込んでいった選択は、当時の芸能界では極めて異例だった。安全地帯を飛び出す勇気。それが、彼女の演技に底知れぬ奥行きをもたらす原動力となったのだ。