岡山を訪れた観光客が最も混乱しやすいのが、売り場に隣り合って並ぶ「廣榮堂」と「廣榮堂武田」の存在です。ネット上では「一方が本物で他方は偽物なのではないか」といった根拠のない憶測が飛び交うこともありますが、社史や郷土史の記録を紐解くと、事実はまったく異なります。両社はともに安政3年(1856年)に創業した「廣榮堂」という同一の源流から枝分かれした、正当な血統を持つ老舗菓子舗です。
幕末の岡山城下、武田浅次郎が創業した廣榮堂は、当時茶席用の高級菓子や保存食として親しまれていた黍団子(きびだんご)を、柔らかく日持ちのする土産菓子として改良し、全国的な評価を獲得しました。その後、明治時代の事業拡大と家督承継の過程で親族内での分家が行われ、本家筋にあたる現在の「株式会社 廣榮堂」(店舗屋号:廣榮堂中納言など)と、分家として独立した「株式会社 廣榮堂武田」へと組織が分立しました。
つまり、廣榮堂のれん分けの歴史と経緯とは、対立による分裂ではなく、一族の暖簾をそれぞれの経営手腕で守り広げていくための前向きな事業継承でした。廣榮堂(中納言)が五味太郎氏の意匠を導入して全国規模のブランドへと大転換を図ったのに対し、廣榮堂武田は版画家・池田遙邨の描いた素朴な風情や、昔ながらの伝統的な製法、さらにはジャージー牛乳を使用した「みるくきびだんご」など独自の創作路線を切り拓きました。どちらも岡山の菓子文化を支えてきた誇り高き正統派であり、両者の個性の違いを楽しむことこそが岡山銘菓の醍醐味です。