ジャンヌ・ダルクはなぜ殺されたのか?19歳英雄処刑の真相と裏切り

ジャンヌ・ダルクはなぜ殺されたのか?19歳英雄処刑の真相と裏切り

ジャンヌ・ダルクはなぜ殺されたのか?19歳英雄処刑の真相と裏切りについての最新情報をお届けします。

イングランドの資金によって買い取られたジャンヌは、ノルマンディー地方のルーアンに移送され、悪名高い異端審問裁判にかけられます。この裁判を取り仕切ったのが、イングランドの意向を忠実に汲み取る親英派の聖職者、ボーヴェ司教ピエール・コーションでした。彼には、この裁判を成功させてイングランドに恩を売り、空席となっていたルーアン大司教の座を手に入れたいという強烈な出世欲がありました。

裁判は最初から有罪判決を目的とした不当極まりないものでした。コーション司教は100人を超える神学者や法学者を集めましたが、ジャンヌには弁護士の選任すら許されず、教皇への控訴の権利も完全に握り潰されました。にもかかわらず、文字も読めない19歳の農村出身の少女は、老練な審問官たちの神学的な誘導尋問を神がかり的な機転で論破し続け、法廷をたびたび沈黙させます。

困り果てた裁判側が最終的に彼女を火刑台へと送るために利用したのが、「男装の罪」でした。旧約聖書の申命記第22章5節にある「女は男の着物を着てはならない」という教理を根拠に、彼女を断罪しようとしたのです。

ジャンヌが戦場で甲冑をつけ、獄中でも男装を貫いたのには明確な理由がありました。男装の衣服は革紐で幾重にも強固に結ばれており、粗暴なイングランド兵たちによる性的暴行から自らの純潔を守るための唯一の防壁だったからです。一度は死刑の恐怖から改悛書に署名させられ、女性のドレスを着ることを承諾したジャンヌでしたが、牢番の兵士たちにドレスを奪われ男装の服しか残されないという悪質な罠に嵌められ、再び男装を着用せざるを得なくなります。コーション司教はこれを見て「異端の再犯(背教)」と認定し、即座に世俗の裁判権へと引き渡して火刑を決定づけました。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。