ネット上の掲示板や考察コミュニティでは時折、「麃公は兵を無駄死にさせているだけではないか」「策もなく突っ込む無謀な将将軍」といった批判的な声が上がることがあります。蛇甘平原の戦い序盤で見せた突撃において、自軍の歩兵が多数犠牲になった描写がその根拠として挙げられがちです。
しかし、これは戦術の本質を見誤った誤解と言わざるを得ません。麃公の戦い方は、単なる蛮勇や無計画な玉砕とは根本的に異なります。
- 火種を嗅ぎ分ける観察眼:無駄に兵を消耗させているように見えて、実は敵陣が最も綻びを見せる瞬間、あるいは味方の士気が爆発して戦況を覆せる「急所」を極限まで見極めている。
- 決断と集中のスピード:一度勝機と見定めるや、躊躇なく全軍の火力を一点に集中させる。結果としてダラダラと戦線を維持するよりも、早期に敵の総大将の首を落として全体の被害を最小限に抑える合理性を持つ。
- 理屈を超えた兵の鼓舞:「理屈」ではなく「生きるか死ぬかの本能の昂ぶり」で兵を統率するため、劣勢に陥っても軍が瓦解せず、土壇場で規格外の爆発力を発揮する。
合従軍編において、天下の知将・李牧が敷いた「流動」という難解極まる戦術の渦中を、直感だけで李牧の喉元まで肉薄した事実は、麃公が決して単なる猪武者ではなく、戦の理(ことわり)の深淵を体感で理解していたことの証明です。