ハリー・ポッターの吹き替えにおける最大の山場であり、小野賢章にとって最も過酷な試練となったのが、第3作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)から第4作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005年)にかけて訪れた「第二次性徴に伴う声変わり」でした。
子役が長期シリーズの吹き替えを担当する際、思春期の変声期によって役柄のイメージが崩れ、大人の声優や別の少年へとキャスト変更される事例は珍しくありません。小野自身も、中学校に入学したあたりから声が思うようにコントロールできなくなり、喉の違和感と戦う日々が続きました。当時の雑誌インタビューや回想録において、小野は当時の心理状態を次のように吐露しています。
「収録前のテストで声を出そうとすると、急にガラガラになったり、高い音で裏返ったりしてしまう。『このまま声が出なくなったらハリー役をクビになるんじゃないか』という恐怖が常に頭から離れませんでした」
この危機を救ったのは、現場の音響監督による温かいディレクションと、スクリーンの向こう側にいた主演俳優ダニエル・ラドクリフ本人の身体的成長でした。海を隔てたイギリスにいるラドクリフもまた、同時期に急激な変声期を迎えており、第3作から第4作にかけて声質が低音へとシフトしていたのです。制作陣は小野に対して「無理に昔のハリーのような高い声を作る必要はない。ダニエルも声が変わっているのだから、今の賢章の自然な声のまま、心境の変化をぶつけてくれればいい」と指示を出しました。
結果として、小野賢章のリアルタイムな声変わりは、孤独や反抗心、大人への階段を登るハリーの精神的葛藤と見事に共鳴することになりました。作り物ではない「少年の肉声の揺らぎ」がフィルムに刻み込まれたことで、吹き替え版ハリーは単なる翻訳を超えた生々しいリアリティを獲得するに至ったのです。