安藤百福の生涯を語る上で欠かせないのが、その波乱に満ちた前半生です。安藤百福の経歴を遡ると、1910年(明治43年)、日本統治下の台湾・嘉義庁(現在の嘉義県)に生まれたというルーツに行き着きます。本名は呉百福(ご・ひゃくふく)。幼少期に両親を亡くした彼は、台南で繊維問屋を営む祖父母の手によって育てられました。
幼い頃から商才を発揮した百福は、22歳のときに父の遺産を元手に台北で繊維会社を設立。翌1933年には大阪へ渡り、メリヤス問屋「日東商会」を立ち上げて事業を急速に拡大させます。しかし、順風満帆に見えた事業家人生を時代の荒波が容赦なく襲いました。
第二次世界大戦中、軍需資材の調達や航空機部品の製造を手がけるなかで、陸軍の物資横領を告発しようとした人物の巻き添えを食らい、憲兵隊に不当逮捕されてしまいます。凄惨な拷問を受けながらも沈黙を貫き、約45日後に無実が証明されて釈放されたものの、終戦を迎えたときには空襲によって大阪の拠点が灰燼に帰していました。
戦後も混乱は続きます。日本国籍の選択、生活困窮者のための製塩事業や漁業、栄養食品の開発など多角的な事業に乗り出しますが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による脱税容疑で再び拘束・収監される事態に見舞われます。最終的に無罪を勝ち取ったものの、青年期から中年期に至るまで、常に国家や戦争の理不尽に翻弄され続けた日々でした。