世間がテキ屋に対して最も強い関心と警戒を寄せるのが、テキ屋と暴力団の関係です。歴史を紐解くと、賭博を生業とする「博徒」と、盛り場や縁日の物販・興行を仕切る「的屋」は、江戸時代から明確に区別されていました。的屋組織は治安維持の側面も担い、町奉行や寺社奉行からも一定の自治を認められていた側面があります。
しかし、戦後の混乱期を経て闇市が形成される過程で、資金力や武力を持つ暴力団組織と的屋組織の境界線が急速に曖昧化しました。昭和後期には、指定暴力団の傘下に入る的屋団体や、自ら指定暴力団として指定される的屋系組織(極東会や会津小鉄会傘下の一部など)が続出。祭礼の場所代が暴力団の有力な資金源(シノギ)へと変質していった事実は否定できません。
この力学を根底から覆したのが、2010年から2011年にかけて全国の自治体で一斉に施行された暴力団排除条例(暴排条例)です。暴排条例によるテキ屋の衰退理由は、極めて直接的かつ制度的な締め出しにありました。
条例施行以降、警察庁および各都道府県警は「祭礼からの暴力団排除」を最重点課題に設定。神社仏閣の宮司や商店街振興組合に対し、反社会的勢力への敷地貸与を拒絶するよう指導を徹底しました。露店出店時には、出店者全員が「暴力団員またはその関係者ではない」とする誓約書と身分証明書を主催者および警察署へ事前提出することが義務付けられたのです。違反すれば主催者側も勧告や公表の対象となるため、寺社側も背に腹は代えられず、暴力団系露店の一括排除に踏み切りました。
この結果、かつて祭りを牛耳っていた反社系テキ屋は壊滅的な打撃を受けました。看板を下ろす組織が相次ぎ、現存する組織は「適法な事業協同組合」として完全に脱皮するか、あるいは廃業かの二者択一を迫られることとなったのです。