160キロを叩き出し、全国制覇への期待が高まった3年夏の岩手大会決勝・盛岡大付戦。大谷を待っていたのはあまりにも残酷な結末でした。味方のミスや相手打線の粘りに遭い、微妙な判定も重なって3対5で敗退。最後の夏は甲子園不出場のまま幕を閉じました。
甲子園の頂点に届かなかった悔しさを胸に、大谷は高校卒業後の進路としてメジャー挑戦表明を行い、日本球界を経ずに渡米する決意を公表します。高卒即メジャーという前代未聞の宣言に対し、各球団が指名を回避するなか、独自の育成プラン「大谷翔平君 夢への道しるべ」を掲げて果敢にアプローチしたのが北海道日本ハムファイターズでした。
栗山英樹監督らの情熱的なプレゼンと「投打二刀流での育成」という提案に心を動かされ、ドラフト1位指名を受諾。甲子園での悔し涙から始まったプロ野球人生が、ここから本格的にスタートしました。