文久3年はなぜ幕末最大の転換点なのか?激動の1863年を徹底解剖

文久3年はなぜ幕末最大の転換点なのか?激動の1863年を徹底解剖

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文久3年が幕末最大の分水嶺となった根本的な原因は、「孝明天皇による攘夷親征計画」と、それに翻弄された幕府・諸藩の政治的機能不全にあります。

当時の京都では、朝廷の権威を盾に過激なテロリズムを辞さない尊攘派志士たちが闊歩し、治安は最悪の状態にありました。孝明天皇自身は強烈な異人嫌いでありながらも、幕府を倒すことまでは望んでいませんでした。しかし、長州藩や過激公卿(三条実美ら)は天皇の権威を政治利用し、天皇自らが軍を率いて異人を討ち払う「攘夷親征(大和行幸)」の詔を引き出すことに成功します。

幕府は開国が不可避であることを理解していながらも、朝廷からの圧力と世論の過熱に屈し、形式的な攘夷決行日(5月10日)を宣告せざるを得ませんでした。この「国家中枢のダブルスタンダード」が引き金となり、真に受けて即座に米仏船を砲撃した長州藩と、外交的解決を模索する幕府との間に修復不可能な溝が生じたのです。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

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