インターネット上の掲示板やSNSで定期的に拡散される俗説に、「江戸時代の庶民には苗字がなく、1875年(明治8年)の『平民苗字必称令』が出た際にお寺の僧侶や役人が適当に名付けた」という言説があります。歴史学の最新調査と古文書の検証により、この解釈は明らかな誤認であることが証明されています。
歴史の真実を述べれば、江戸時代の農民や町人も日常的に名字(家名)を所有していました。幕府の定めた身分統制令によって「公の場で名乗ること(苗字帯刀)」が制限されていただけであり、村落内の売買証文、神社仏閣の奉納寄進帳、あるいは寺院の「過去帳」には、庶民の名字がはっきりと書き残されています。明治政府が平民苗字必称令を布告した際、大半の民衆は先祖代々受け継いできた私的な名字をそのまま戸籍に届け出たのが実態です。
一方で、役場への届け出の際に生まれた珍事もあります。当時、文字の読み書きが不自由だった一部の人々が役場に相談した結果、土地の情景から名付けられたり、珍しい読みを充てられたりしたケースも実在しました。これがいわゆる日本の珍しい苗字(「小鳥遊(たかなし:天敵の鷹がいないため小鳥が遊べる)」「月見里(やまなし:山がないため月がよく見える)」「一(にのまえ)」など)の成立要因の一部ともなっています。しかし、全国の上位名字がここまで綺麗にまとまっているのは、適当につけたからではなく、中世以来の地名・血統・信仰に裏打ちされた強固なコミュニティの歴史があったからに他なりません。