ジャーナリストのサイモン・シン フェルマーの最終定理に関する傑作ノンフィクションで克明に描かれた通り、この偉業の裏には一人の数学者の常軌を逸した執念と孤独がありました。
10歳の時に地元の図書館でエリック・テンプル・ベルの児童書を読み、フェルマーの難問の虜になったアンドリュー・ワイルズ。1986年、ケン・リベットがフライの予想を証明したというニュースを知った瞬間、彼は自らの運命を悟ります。「これからはフェルマーのためだけに生きる」。ワイルズはプリンストン大学の自宅屋根裏部屋に籠もり、同僚にすら一切の研究内容を秘匿したまま、およそ7年間にわたり単独で谷山志村予想の攻略に没頭したのです。
しかし、1993年6月の歴史的発表の直後、過酷な試練が訪れます。発表された約200ページの論文を専門家たちが検証する査読プロセスにおいて、数学者ニック・カッツらにより、証明の基幹を成していた「コリヴァギン=フラッハ法」の拡張に埋めがたい論理的欠陥(ギャップ)が発見されたのです。
世間からの好奇の視線とプレッシャーに晒され、精神の極限に追い詰められたワイルズは、かつての教え子であったリチャード・テイラーを呼び寄せ、必死の修正作業に入ります。1994年9月、挫折を受け入れ敗北を認める寸前、ワイルズは劇的なインスピレーションに打たれました。自らが以前放棄していた「岩澤理論」のアプローチと、欠陥を抱えていたコリヴァギン=フラッハ法を組み合わせることで、両者が互いの弱点を完璧に補完し合うことに気づいたのです。
英BBCのドキュメンタリー番組『地平線(Horizon)』のインタビューにおいて、ワイルズはこの奇跡的な朝を振り返り、カメラの前で数分間にわたり言葉を詰まらせ、涙を拭いました。「それは言葉にできないほど美しく、信じられないほど優雅な光景でした」。この生の証言こそ、冷徹な論理の極限にある数学という営為が、人間の血の通った情熱によって切り拓かれる証拠でした。