江戸時代の寿命は30歳代の嘘!成人後の余命と長寿の真相を解明

江戸時代の寿命は30歳代の嘘!成人後の余命と長寿の真相を解明

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成人後の余命が長かったとはいえ、当時の生活環境が健康的で快適だったわけではありません。人々は現代では考えられない深刻な病魔の脅威に常に晒されていました。

当時の命を奪った最大の元凶は、圧倒的に感染症です。江戸時代の主な死因と病気として恐れられたのが、以下の病魔でした。

  • 結核(労咳・ろうがい):不治の病と恐れられ、新選組の沖田総司をはじめ若年層から壮年層の命を次々と奪いました。
  • 天然痘(疱瘡・ほうそう):幼児期を中心に猛威を振るい、命を取り留めても顔面に重篤なあばたが残るなど、社会全体を恐怖に陥れました。
  • 麻疹(はしか):数年〜十数年周期で大流行し、ひとたび流行すると江戸市中だけで数万人規模の死者を出しました。
  • コレラ(虎列剌・コロリ):幕末の開国に伴って海外から流入。「三日コロリ」と恐れられ、安政5年(1858年)の大流行では江戸だけで10万人以上が急死したと伝えられます。

また、大都市・江戸特有の風土病として猛威を振るったのが「脚気(かっけ)」、別名「江戸わずらい」です。参勤交代で江戸に来た大名や武士、あるいは白米を常食できるようになった裕福な町人が次々と手足の麻痺や心不全に倒れ、故郷へ帰ると治るという奇妙な病として知られました。現代でこそビタミンB1不足が原因と解明されていますが、当時は原因不明の難病であり、第13代将軍・徳川家定や第14代将軍・徳川家茂の死因も脚気であったという説が有力視されています。

当時の江戸時代の医療水準と衛生環境には、光と影が混在していました。江戸の町は排泄物を農村へ「下肥(しもごえ)」として売却する高度な循環型リサイクルシステムを構築しており、糞尿を街路に投棄していた同時代のヨーロッパ諸都市(ロンドンやパリ)に比べれば、都市の清潔さは群を抜いていました。しかし、神田上水や玉川上水などの水道設備は木樋(木製の配管)を通した井戸水であり、ひとたび水源や水路が病原菌に汚染されれば、長屋の共同井戸を通じて感染症が一瞬で爆発感染する脆さを抱えていたのです。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。