Q1:春風亭一柳(三遊亭好生)の死因は何だったのですか?
A1:1981年7月9日、山梨県の山中湖で遺体となって発見されました。公式には水死・水難事故として処理されましたが、当時の状況や直前の精神的な追い詰められ方から、演芸関係者の多くは入水自殺であったと推測しています。
Q2:立川談志との間にはどのようなエピソードがありますか?
A2:二ツ目時代から互いの才能を認め合うライバル関係でした。談志は好生(一柳)の鋭敏な知性と毒のある芸風を高く評価しており、死後も自著『談志絶倒 昭和落語家伝』などでその不器用な生き様と天才ぶりを哀惜を込めて振り返っています。
Q3:なぜ三遊亭から春風亭へ一門を変えたのですか?
A3:1978年の落語協会分裂騒動後、師匠・六代目三遊亭圓生が急逝したことで一門内で孤立し、事実上の破門状態となったためです。落語協会で芸を続けるため、1980年に八代目春風亭柳枝の門下へ移籍し「春風亭一柳」と改名しました。