数ある旧宮家の中でも、東久邇家が皇位継承問題において特別な存在感を放つ最大の理由は、その圧倒的に濃厚な皇室との血縁関係にあります。
東久邇宮家は、明治40年(1906年)に久邇宮朝彦親王の第9王子である稔彦王(のちの首相・東久邇稔彦氏)によって創設されました。1947年にGHQの指令のもとで皇籍離脱した11宮家の一つですが、皇室との結びつきは戦後も強く維持されました。
稔彦氏の長男である東久邇盛厚(もりひろ)氏は、昭和天皇の第1皇女である照宮成子(しげこ)内親王と結婚しました。この婚姻により、東久邇家には伏見宮系統の男系血統だけでなく、昭和天皇の母系血統が直接合流することになります。
盛厚氏と成子内親王の長男が前当主の東久邇信彦氏(2019年逝去)であり、その長男が現在の当主である東久邇征彦氏、そしてその息子が照彦氏です。つまり、東久邇家の当代およびその息子は、伏見宮家の男系子孫でありながら、昭和天皇の直系子孫(曾孫・玄孫)でもあるという、極めて稀有な系譜を持っています。