この気の遠くなるような年月を支え続けたのは、姉である袴田秀子氏の不屈の意志だった。弟の無実を信じ、90歳を超えてもなお全国で支援を訴え続けた彼女の姿は、司法被害に苦しむ人々にとっての希望の光となった。「弟を助けたい、ただそれだけ」。その言葉の裏には、半世紀以上にわたって背負い続けた孤立無援の戦いがあった。
一方で、司法の内部にも激しい葛藤が存在していた。一審で死刑判決を書かざるを得なかった熊本典道元裁判官の苦悩はその筆頭と言える。合議体の中で無罪を主張しながらも判事2人の壁に阻まれ、自らの手で死刑判決文を執筆した熊本氏。後に裁判官を辞職し、自責の念を抱えながら袴田さんの無実を訴え続けた彼の生々しい告白は、裁く側もまた組織のシステムに呑み込まれていく恐怖を物語っている。