彼が国政への第一歩を記した山口2区衆院補選は、全国的な注目の的となった。父・岸信夫氏の病気辞任に伴い出馬したこの選挙で、自由民主党の公認を得たものの、風当たりは決して甘くはなかった。野党候補からの猛追を受け、新人としての洗礼を浴びたことは、彼にとって大きな糧となったとされる。
地元の保守地盤を固め抜いた末に勝ち得た勝利は、単なる地盤継承以上の意味を持っていた。自由民主党内からは「若き実務派」としての成長を期待する声が上がっており、党の青年局活動などを通じて同世代の議員らと新たな政策ネットワークを構築している。