館山城を訪れる際、まず押さえておきたいのが里見氏の歴史の真相です。観光パンフレット等では曲亭馬琴の伝奇小説『南総里見八犬伝』の舞台として華麗に語られますが、史実の館山城主・里見氏は、戦国乱世を生き抜いた屈強な海路の武将集団でした。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐を経て、安房一国を安堵された里見義康が本拠地として築城したのが館山城の始まりです。東京湾の要衝を押さえる天然の要害に築かれたこの城は、里見氏の政治・軍事の中心として機能しました。しかし、繁栄は長くは続きませんでした。義康を継いだ里見忠義の時代、江戸幕府の権力闘争(大久保忠隣失脚事件)に巻き込まれ、慶長19年(1614年)に突如として改易を命じられたのです。
領地を没収された忠義は伯耆国(現在の鳥取県倉吉市)へ事実上の配流となり、29歳という若さで失意のうちに病没しました。このとき、忠義に殉死した8人の側近(八遺臣)の忠節が、のちに曲亭馬琴の創作意欲を刺激し、仁義八行の数珠を持つ八犬士が活躍する『南総里見八犬伝』へと昇華したと伝えられています。美しいフィクションの根底には、名門・里見氏が幕府の謀略によって理不尽に潰え去った痛切な史実が存在していたのです。