1997年のアテネ大会から2026年のオレゴン大会まで。織田裕二がマイクを握り続けた25年間は、日本における陸上競技の認知度向上と完全にシンクロしていた。彼が叫ぶたびに、スタジアムの温度が画面越しに伝わってきた。それは単なる仕事の領域を超えた、一人の男の狂気的なまでの陸上愛だった。
当時はまだマイナーだった種目にもスポットを当て、選手個人のバックストーリーを熱く語る。そのスタイルは時に「うるさい」「感情的すぎる」と批判されることもあった。しかし、彼が去った今、あの過剰なまでの熱量がどれほど貴重だったかを、多くの人が身に染みて理解している。