現代の日本において、八咫烏をもっとも日常的に目にする機会は、公益財団法人日本サッカー協会(JFA)の公式エンブレムおよび日本代表のユニフォームでしょう。黄色い太陽を背に、3本の足でしっかりとサッカーボールを掴む八咫烏のデザインは、1931年(昭和6年)に正式採用されて以来、約1世紀にわたり日本サッカーの象徴として親しまれています。
なぜ、西洋発祥の近代スポーツであるサッカーの象徴に、日本古代の八咫烏が選ばれたのでしょうか。そこには2つの決定的な歴史的背景が存在します。
第1の理由は、「ゴールへ的確にボールを導く」という勝負運と先導の祈願です。大日本蹴球協会(現・JFA)の創設時、東京高等師範学校(現・筑波大学)で日本サッカーの普及に尽力した漢文学者・内野台嶺氏らの発案により、「敵陣深くに切り込み、ボールを正確にゴールへと先導して勝利を掴み取る」という願いを、神武東征を導いた八咫烏の神力に重ね合わせました。
第2の理由は、「日本サッカーの父」と呼ばれる中村覚之助(なかむら かくのすけ)氏への追悼と敬意です。明治時代に東京高等師範学校で日本初の体系的なサッカー指導書を翻訳・執筆し、ア式蹴球(サッカー)部を創設した中村氏は、現在の和歌山県那智勝浦町の出身でした。八咫烏を篤く信仰する熊野の地で生まれ育ち、日本サッカーの礎を築きながらも29歳の若さで夭折した中村氏の功績を後世に伝えるため、熊野の象徴である八咫烏がデザインのモチーフに採用されたのです。