昭和から平成にかけて相撲界を牽引した親方の子息となれば、「なぜ相撲を取らなかったのか」「なぜ東関部屋を継承しなかったのか」という問いが幾度となく投げかけられてきました。ネット上の一部掲示板では「親子関係の不仲」や「親の反対を押し切った」といった穿った見方が書き込まれたこともあります。
しかし、実際の家族の空気感や当時の証言を紐解くと、事実はまったく逆です。高見山こと渡辺大五郎氏と妻の佳子さんは、息子の進路に対して「本人が情熱を傾けられる道を自由に選ばせる」という一貫した教育方針を貫いていました。
高見山自身、言葉も文化も異なる異国の日本へ単身飛び込み、過酷極まりない相撲部屋の徒弟制度を耐え抜いた人物です。「相撲の道は、中途半端な親の意向や世間体で続けられるほど甘くはない」という厳格な現実を誰よりも骨身にしみて理解していました。だからこそ、息子が自発的に興味を持ったアメリカンフットボールの道を全面的に応援し、日大時代や社会人時代の試合会場には、息子のプレーを一目見ようと夫妻で足を運ぶ姿が度々目撃されていました。
東関部屋の継承問題についても、愛弟子であった潮丸(第13代東関)へのバトンタッチなど、相撲界の正統な手続きに則って進められました。血縁者に無理な部屋継承を強要しなかった点こそ、渡辺家の風通しの良さを示しています。