1996年1月に村山富市氏の後を継いで発足した橋龍内閣が掲げたスローガンは「変革と創造」でした。当時、バブル崩壊後の不良債権問題と硬直化した官僚機構に喘いでいた日本に対し、橋龍が提示した青写真が「行政改革」「財政構造改革」「金融システム改革」「経済構造改革」「社会保障構造改革」「教育改革」からなる「6大改革」です。
なかでも「橋龍 行政改革の真相」の核心は、明治以来続いてきた霞が関の縦割り行政を解体し、総理官邸への権限集中を図ることにありました。橋龍は民間有識者とともに「行政改革会議」を立ち上げ、自ら議長に就任。自民党内の族議員や抵抗勢力の反発を押し切り、1府22省庁から1府12省庁への統合再編をまとめ上げました。現在、内閣総理大臣がリーダーシップを発揮する基盤となっている「内閣府」の新設や特命担当大臣制度、総合科学技術会議の設置は、すべて橋龍の執念によって設計されたものです。
同時並行で進められたのが「橋龍 金融ビッグバン」です。「フリー・フェア・グローバル(自由・公正・国際的)」の3原則を掲げ、イギリスのサッチャー政権をモデルに金融市場の規制撤廃を断行しました。為替取引の完全自由化、銀行・証券・保険の垣根の撤廃、株式売買委託手数料の自由化を矢継ぎ早に導入。さらに大蔵省から金融の検査・監督権限を切り離し、現在の金融庁の母体となる金融監督庁を創設しました。
公式会見の場で橋龍は「自ら痛みを伴わずに新しい時代を切り開くことはできない。先送りの政治に終止符を打つ」と強い眼差しで言い切りました。官僚の書いた原稿を読まないことで知られた彼が、自らの政治生命を賭して官僚機構にメスを入れた事実は、現代の統治構造の基礎を築いた偉業として疑う余地がありません。