松田聖子の若い頃のエピソードを紐解くと、彼女の発掘プロセスそのものが「枕営業」などの介在する余地が一切なかったことを如実に物語っています。
発端は1978年に開催された『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会でした。当時高校2年生だった彼女は地区予選で優勝したものの、厳格な父親の猛反対に遭い、全国大会への出場を辞退せざるを得なくなります。ここで彼女の運命を変えたのが、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)の若手プロデューサーであった若松宗雄氏でした。
若松氏はコンテストの録音テープに残されていた彼女の歌声を聴き、「まるで部屋の空気が一変するような、突き抜けるハイトーンボイス」に衝撃を受けます。周囲のスタッフが「顔写真が平凡だ」「売れるわけがない」と反対する中、若松氏は単身で福岡の蒲池家へ何度も足を運び、父親を粘り強く説得し続けました。
その後、受け入れ先となったのが名門プロダクションのサンミュージックです。創業者の相澤秀禎会長は、自著『人気づくりの法則』などの回顧録の中で、聖子を自宅に下宿させ、自ら毎朝の朝食を用意し、礼儀作法から徹底的に指導した日々を詳細に記しています。相澤会長の厳しい管理下で、私生活の隙すら許されない環境に置かれていたことは業界内で広く知られており、怪しげな関係が生じる余地は物理的にも皆無でした。