映画『十三人の刺客』のクライマックスは、中山道・落合宿をまるごと巨大な要塞へと改造し、総勢300名を超える明石藩の軍勢をわずか十三人で迎え撃つ壮絶な殲滅戦です。火薬の爆破、降り注ぐ矢の雨、泥と血にまみれた乱闘劇の果てに、刺客たちは一人、また一人と命を散らしていきます。
壮烈を極めた激闘の末、首謀者である島田新左衛門(役所広司)は、かつての知友であり明石藩御用人として立ちはだかった鬼頭半兵衛(市村正親)を一騎打ちで打ち倒します。そしてついに追い詰めた暴君・松平斉韶(稲垣吾郎)と対峙。斉韶から不意に脇差で深手を負わされながらも、新左衛門は渾身の一撃で斉韶の首を刎ね、武士としての最後の務めを果たしてその場に倒れ込みます。
この極限状態を生き延びた刺客は、新左衛門の甥である島田新六郎(山田孝之)です。放蕩三昧の日々から自らの意志で刺客に志願した新六郎は、凄惨な殺戮の現実と叔父の死を目の当たりにし、血に汚れた刀を地面に投げ捨てて武士の身分を捨てる決意を固めます。
しかし、観客の間で最大のミステリーとして議論を呼んだのが、山民の案内人・木賀小弥太(伊勢谷友介)の存在です。劇中中盤、小弥太は敵の槍で首を深く刺し貫かれ、誰もが絶命したと確信していました。ところが終幕、何事もなかったかのように包帯を巻いた姿で新六郎の前に現れ、軽やかに言葉を交わして山へと去っていくのです。
この演出意図について、三池崇史監督は当時の公開記念インタビューや劇場パンフレット等で「小弥太は単なる人間ではなく、野性そのもの、あるいは大地に根ざす民衆の生命力の象徴である」という趣旨を明かしています。武士階級が掲げる大義や形式美が泥濘の中で共倒れしていくのに対し、名もなき民衆のバイタリティは決して死なないという対比構造が、あの幻想的な生還劇に込められています。