志乃多寿司の屋号は、信田の森の白狐伝説を題材にした人形浄瑠璃・歌舞伎の名作『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』の「葛の葉(信田妻)」に端を発します。狐の好物とされる油揚げを使った寿司に、古歌の風流を重ね合わせて「志乃多」の文字を当てたのが始まりです。
原点となる「人形町志乃多寿司総本店」は、明治10年(1877年)、初代・竹保佐吉氏によって人形町の地に創業されました。当時、屋台の手軽なファストフードであったいなり寿司を、座敷や手土産にふさわしい洗練された江戸前寿司へと昇華させた功績は極めて大きく、東京の食文化史に深く刻まれています。
その後、明治期に志乃多寿司の暖簾は広がりを見せます。明治19年(1886年)には浅草寺の裏手にあたる観音裏に「浅草志乃多寿司」が独立。続いて明治35年(1902年)、神田淡路町に「神田志乃多寿司」がのれん分けされました。昭和・平成の激動期、関東大震災や東京大空襲による灰燼を乗り越え、それぞれの地で暖簾を守り抜いた結果、現在では独立した別法人として独自の味と美学を磨き上げています。
「どちらが本物か」という短絡的な優劣論は適切ではありません。三者三様の下町文化に根ざし、職人が毎朝釜に火を入れ、伝統の出汁を継ぎ足し続けることで、2026年の今日まで唯一無二のブランド価値を共鳴させています。