大日本帝国の敗戦を巡っては、インターネットや一般書籍において長年信じられてきた幾つかの俗説が存在します。歴史の真相に迫るためには、これらのバイアスを取り除く客観的な視点が不可欠です。
最も根強い誤解のひとつが、「好戦的だった陸軍に対し、海軍はリベラルで英米との戦争に反対していた」という海軍善玉論です。確かに山本五十六や米内光政らは日独伊三国同盟に慎重姿勢を示しましたが、組織としての海軍首脳部(嶋田繁太郎海相や軍令部)は、予算獲得競争において陸軍に遅れをとることを恐れ、石油の備蓄限界を理由に対米開戦へ同意しました。「海軍は戦えるとは言わなかったが、戦えないとも言わなかった」という戦後の海軍幹部たちの回顧録にあるように、予算と組織防衛のために国家の命運を賭けた責任は陸海軍双方に等しく存在します。
また、「ポツダム宣言受諾の直接原因は二発の原子爆弾投下のみである」という言説も一面的です。外交史料の精査により、中立条約を結んでいたソ連に和平仲介を期待していた日本指導層にとって、1945年8月8日深夜のソ連対日参戦が決定的打撃となったことが明らかになっています。唯一の頼みの綱であったソ連に背後から突かれたことで、本土決戦による「国体護持(天皇制維持)」の戦略的前提が完全に崩壊し、鈴木貫太郎内閣における御前会議での聖断へと至ったのが大日本帝国敗戦の真相です。