平素は分別のある人物であっても、特定の状況下ではあっけなく理性を失う原因は何なのでしょうか。心理学や行動経済学の研究では、人間が合理的な計算を放棄してしまう背景に「認知のバグ」とも呼べる脳内メカニズムが存在することが明らかになっています。
第一の要因は、神経伝達物質ドーパミンの急激な放出です。魅力的な報酬(金銭、ステータス、欲しいアイテム)の気配を察知した瞬間、脳の腹側線条体を中心とする報酬系が過剰に興奮します。このとき脳が反応しているのは「報酬を手に入れたときの幸福」ではなく、「手に入るかもしれないという期待」そのものです。この期待感が高まると、論理的思考を司る前頭前野のブレーキ機能が一時的に抑制され、リスク評価機能が著しく低下します。
第二に挙げられるのが、行動経済学者ジョージ・ローウェンスタインが提唱した「ホット・コールド共感ギャップ」です。人間は冷静な状態(コールド状態)にあるとき、興奮状態(ホット状態)における自分の感情や行動を著しく過小評価します。「自分なら怪しい投資には手を出さない」「セールでも必要なものしか買わない」と理性で考えていても、いざ限定感や射幸心を煽られる環境に置かれると、瞬時にホット状態へ移行して合理的な判断軸を失ってしまうのです。
さらに、現代特有のストレスや睡眠不足、情報過多による「認知的負荷(ウィルパワーの枯渇)」が重なると、脳の抑制機能は一段と脆くなります。欲望に駆られてしまう現象は、個人の性格的な欠陥というよりも、脳の生物学的な脆弱性が引き起こすエラー反応と言えます。