歌舞伎や時代劇のファンにとって長年議論の的となってきたのが、「播磨屋」と「萬屋」の屋号の変遷です。小川家はもともと、近代歌舞伎の巨頭である初代中村吉右衛門の一門として「播磨屋」を名乗っていました。三代目中村時蔵は初代吉右衛門の実弟であり、錦之介たち兄弟にとって初代吉右衛門は伯父にあたります。
転機が訪れたのは1971年(昭和46年)のことでした。本家である播磨屋(吉右衛門家)からの一門としての独立と独自性の確立を目指し、三代目時蔵の遺児たちを中心として新屋号「萬屋」を立ち上げました。「萬屋」の名は、三代目時蔵の母方の実家が営んでいた商家(薬屋)の屋号に由来しています。
この分派によって、歌舞伎界における小川家は「萬屋一門」として強固な結束を誇るようになり、錦之介自身も1972年にそれまでの「中村錦之助」から「萬屋錦之介」へと改名しました。しかし、歴史の針は再び動きます。2024年には五代目中村時蔵が初代中村萬壽を襲名し、長男の新・六代目中村時蔵とともに屋号を「播磨屋」へ復帰させることが発表され、歌舞伎界に大きな驚きを与えました。
一門のルーツである播磨屋の精神を継承し直すこの動きは、かつて錦之介が命を懸けて切り開いた独立の気概と、伝統回帰という古典芸能の宿命が美しく交錯した歴史的瞬間として記録されています。