六文銭は、幸村が思いつきで考案した意匠ではありません。家紋としての正式なルーツは信濃国の名門・滋野(しげの)一族、とりわけその嫡流である海野(うんの)氏に遡ります。六連銭の由来と歴史を紐解くと、もともと海野氏が仏教への篤い帰依と一族の繁栄を祈願して紋章として用いていたものでした。
真田氏は、海野氏の血を引く支族として信濃小県郡に勃興しました。幸村の祖父・真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現した際、主家筋にあたる海野氏が武田・村上らの連合軍に敗れて没落したため、真田氏がその由緒正しい六連銭を継承したと記録されています。続く父・真田昌幸が家紋に六文銭を重用したことで、「表裏比興の者」と称された昌幸の知略とともに、六文銭の旗印は東国全土にその恐るべき武名を知らしめました。
一族の正統性を誇示する名門のシンボルでありながら、戦場では「冥銭」へと意味を転換させ、味方の士気を極限まで高める道具へと昇華させた点に、真田一族の並外れた戦略眼が見て取れます。