この論理的一致に魂を射抜かれた一人の英国人数学者がいました。当時プリンストン大学にいたアンドリュー・ワイルズです。10歳の頃に図書館でフェルマーの最終定理に出会って以来、数学者を志したワイルズは、リベットの証明を知るや否や、自宅の屋根裏部屋に完全に引きこもる決断を下します。
同僚にすら研究テーマを一切漏らさず、秘密裏に進められたアンドリューワイルズ証明への挑戦は、孤独を極めました。彼が採った戦略は、谷山志村予想をすべての楕円曲線ではなく、フェルマーの反例を包摂するのに十分な「半安定楕円曲線」に絞って証明するという極限の隘路でした。
谷山志村予想証明の経緯は、まさに映画を凌駕するサスペンスでした。1993年6月、ケンブリッジ大学の講義でワイルズが証明を発表した際、会場は割れんばかりの拍手に包まれます。しかしその後の厳密な査読過程で、コリヴァギン=フラッハ法を用いた論理展開に修復困難な致命的欠陥(ギャップ)が発見されたのです。
失意の底に突き落とされ、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも、ワイルズはかつての教え子リチャード・テイラーを呼び寄せ、岩澤理論と自らが過去に捨て去ったアプローチを融合させる奇跡の閃きによって、1994年9月に完全な修復を成し遂げました。1995年、数学の最高峰学術誌『Annals of Mathematics』に掲載された論文によって、数学史上最大の難問解決は現実のものとなったのです。