この議論が単なる技術的・建築的な論争の域を超え、全国的な人権問題として炎上した契機が、2023年6月に名古屋市が開催した市民討論会でした。この場で起きた出来事は、障害者当事者と行政の信頼関係を決定的に破壊しました。
討論会の壇上や客席から発せられたのは、息を呑むような直接的な暴言でした。「江戸時代にエレベーターはなかった」「障害者が生まれてくること自体が間違っているのではないか」といった露骨な差別発言が参加者から飛び出した際、主催者である名古屋市の職員や司会進行は発言を制止せず、そのまま放置しました。会場にいた当事者が自著や手記、報道機関の特番インタビューで語った証言には、その瞬間の深い恐怖と絶望が克明に記録されています。
「歴史を語る議論の場で、自分たちの存在そのものを否定された。行政がそれを咎めもしなかった光景は、木造復元という美名の下で誰が切り捨てられているかを雄弁に物語っていた」
当時の特番や記者会見で見せた河村前市長の謝罪姿勢も、当初は差別発言そのものへの断固たる非難を曖昧にし、後手後手の対応に終始したことで批判の火に油を注ぎました。SNSや大手ニュースサイトのコメント欄でも激しい議論が巻き起こり、ネット上の反応は二極化しました。「史跡の復元にエレベーターを要求するのは無理筋」「何でもバリアフリー化すれば風情が台無しになる」という歴史原理主義的な投稿がある一方で、「公金500億円を費やす現代の公共施設で排除を正当化するのは時代錯誤」「差別発言を容認した行政の体質こそが本質的な病理」とする厳しい声が殺到しました。この出来事以降、障害者団体との対話は冷え込み、バリアフリー協議会の場は深い不信感に覆われることになりました。