大阪城からの突然の離脱――この行動は長年、慶喜最大の謎であり、また批判の対象とされてきた。しかし、彼が率いていた旧幕府軍の将兵を置き去りにしてまで江戸へ戻った決断には、単なる恐怖心とは異なる打算が存在した。新政府軍の掲げる「錦の御旗」に対抗して朝敵となることを何としても避けるという政治的至上命令があったためだ。
もし慶喜が大阪城に籠城して全面対決を選んでいれば、明治維新のプロセスは泥沼の長期内戦と化していたはずだ。英国やフランスの介入を招き、日本が分割統治されるリスクすら存在した。慶喜の「退却」という非情な英断こそが、結果として新生日本のスタートラインを早めたという見方は、現在ではきわめて有力な説となっている。