事故が起きたのは、1999年9月30日午前10時35分頃のことでした。株式会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所内にある転換試験棟において、高速増殖炉「常陽」用核燃料の製造工程が進められていました。現場で作業を行っていたのは、作業員の大内久さん(当時35歳)、篠原理人さん(当時40歳)、そして管理職の横川豊さん(当時54歳)の3名でした。
大内さんと篠原さんが、ウラン溶液を漏斗(じょうご)を介して沈殿槽に流し込んだ瞬間、視界一面を鮮烈な青い光(チェレンコフ光)が覆いました。同時にガンマ線エリアモニターの警報が一斉に鳴り響きます。チェレンコフ光とは、荷電粒子が物質中を光の位相速度を超えて運動するときに発生する特有の青白い光彩であり、それはウラン溶液が核分裂連鎖反応を自己持続させる「臨界」に到達した決定的な瞬間を意味していました。
現場にいた2人は直後から急性放射線障害による激しい嘔吐や意識混濁に見舞われ、別室にいた横川さんとともに緊急搬送される事態となりました。核分裂反応は溶液が冷却されるまで約20時間にもわたって続き、中性子線が周囲へ放出され続けた結果、日本中を恐怖に陥れる事態へと発展していったのです。