荒木村重の妻だしの壮絶な最期|見捨てられた理由と信長の残虐な処刑劇

荒木村重の妻だしの壮絶な最期|見捨てられた理由と信長の残虐な処刑劇

荒木村重の妻だしの壮絶な最期|見捨てられた理由と信長の残虐な処刑劇の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。

村重の徹底抗戦に激怒した信長は、苛烈極まる報復措置を命じます。天正7年(1579年)12月16日、京都・六条河原において、荒木一族の妻子・一門36名、および武士・侍女を含む総勢122名の大規模な公開処刑が執行されました。

市中引き回しの上で処刑場へと連行されただしは、当時まだ21歳前後の若さでした。白無垢を身にまとい、取り乱すことなく静かに車から降り立った彼女の姿は、冷徹な監視役や群衆の心を強く揺さぶりました。『信長公記』には、その際のだしの毅然とした様子が克明に刻まれています。

だしは取り乱す侍女たちを励まし、自ら首切り役人の前に進み出ると、従容として首を差し伸べました。その気高さに、執行にあたった武士たちさえも涙を禁じ得なかったと伝わります。彼女が従容と死に臨む直前に遺した辞世の句は、今も哀切をもって語り継がれています。

「みがくべき 心の月の くもらねば ひかりとともに 西へこそゆけ」

(我が心を磨き澄ました月の光のように一切の曇りがないならば、阿弥陀仏の光明に導かれ、迷うことなく極楽浄土へと旅立とう)

夫の裏切りと逃亡の果てに理不尽な死を迎えながらも、誰を恨むこともなく、魂の気高さを保ち続けた辞世でした。さらに信長は同日、有岡城周辺の農家や小屋に人質となっていた下級武士の妻や子どもら500人以上を生きたまま焼き殺すという、凄惨を極める処刑を断行しています。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。