結論から明かすと、麻生太賀吉氏の子供は3男3女の合計6人です。長男の麻生太郎氏の強烈なキャラクターが世間に広く浸透しているため、「兄弟は少ないのではないか」「一人っ子ではなかったのか」と誤解されることも少なくありません。しかし実態は、男子3人、女子3人という極めて均整の取れた子宝に恵まれた大家族でした。
太賀吉氏の配偶者となったのは、戦後復興の立役者である元首相・吉田茂氏の三女、吉田和子氏です。明治の元勲・大久保利通の曾孫にあたる和子氏が嫁いだことで、九州の地方財閥であった麻生家は、一躍「日本の中心軸」へと直結することになりました。太賀吉氏と和子氏の間に生まれた6人の子供たちは以下の通りです。
【長男:麻生太郎(あそう たろう)】
1940年生まれ。学習院大学政経学部卒業後、スタンフォード大学やロンドン大学大学院留学を経て麻生セメント社長に就任。1979年に衆議院議員初当選を果たし、外務大臣、総務大臣、第92代内閣総理大臣、副総理兼財務大臣を歴任。自民党最高顧問として政界のキャスティングボートを握り続けています。
【次男:麻生次郎(あそう じろう)】
学習院中等科在学中だった1964年、わずか10代半ばの若さでヨット事故に遭い、非業の死を遂げました。この悲劇は麻生家にとって拭い去れない痛恨の傷痕となり、長男・太郎氏の人生観や家族の結束に極めて重大な影を落とすことになります。
【三男:麻生泰(あそう ゆたか)】
1946年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、オックスフォード大学ニューカレッジに留学。兄・太郎氏の政界転身に伴い実業界を一身に引き受け、麻生セメント社長、株式会社麻生会長、九州経済連合会会長を歴任。九州の産業界・医療界を支える絶対的な重鎮です。
【長女:相馬雪子(そうま ゆきこ)】
旧相馬中村藩の第33代当主・相馬和胤氏に嫁ぎました。和胤氏は東京電力勤務や相馬報徳社社長などを務めた人物であり、伝統ある旧大名華族と麻生家を結ぶ架け橋となりました。
【次女:荒船旦子(あらふね あきこ)】
東京大学法学部出身で駐スペイン特命全権大使や外務省中南米局長を務めたトップ外交官、荒船清彦氏に嫁ぎました。国際外交の最前線と麻生家をつなぐ知性的なパイプ役を果たしました。
【三女:寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ)殿下】
1955年生まれ。聖心女子学院初等科・中等科を経て英国へ留学。1980年、昭和天皇の甥にあたる三笠宮家の長男・寬仁親王殿下とご成婚。皇族として公務に尽力され、長女・彬子女王殿下、次女・瑶子女王殿下の母君として知られています。