端午の節句にちまきを食べる文化は、古代中国の戦国時代に生きた楚の政治家であり詩人でもあった屈原(くつげん)の伝説に端を発します。愛国心に満ち、民衆から絶大な信望を集めていた屈原は、政敵の陰謀によって国を追われ、失意のうちに旧暦5月5日、汨羅(べきら)の江に身を投げて命を絶ちました。
悲嘆にくれた民衆は、川の魚や龍が屈原の亡骸を傷つけないよう、太鼓を打ち鳴らし、米を詰めた竹筒を川に投げ入れて供養を行いました。しかし、あるとき屈原の亡霊が現れ、「川へ投げ入れた米は悪龍に奪われてしまう。米を楝(おうち)の葉で包み、五色の糸で縛ってから投げてほしい。龍はそのふたつを恐れるからだ」と告げたと伝えられています。
この言い伝えが形を変え、災いから身を守る厄除けの供物として定着したのが「ちまき」の原型です。日本には奈良時代から平安時代にかけて、宮中儀礼とともに伝来しました。平安時代の宮廷では、5月5日の端午の節句に薬草を配るとともにちまきを食し、夏の疫病や邪気を祓う重要な宮中行事「端午の節会」が執り行われていました。