うなぎの肝と聞くと、大人の味覚をくすぐる「心地よいほろ苦さ」を連想する人が少なくありません。しかし、現場の職人たちの間では、過度な苦味は「仕込みの未熟さ」を意味する明確なシグナルと捉えられています。肝が持つ苦味の直接的な発生源は、肝臓そのものではなく、肝臓に隣接する暗緑色の小さな器官「胆嚢(たんのう)」、通称「苦玉(にがだま)」です。
苦玉の内部には、脂肪の消化を助けるための強いアルカリ性胆汁が満ちています。この胆汁には強烈な苦味成分が含まれており、万が一包丁の刃先や指先で苦玉を破裂させてしまうと、胆汁が胃や浮き袋の表面に染み渡り、どれほど水洗いしても抜けない不快なエグ味を残してしまいます。東京・神田の老舗鰻問屋で数十年腕を振るうベテラン職人は、かつての手記で「苦玉を一滴も破らず、指の腹の感覚だけで瞬時に摘み取れるようになって初めて、親方から肝の仕込みを任された」と述懐しています。
専門店で行われる「苦味取り」の標準工程は、極めて繊細です。まず冷水の中で苦玉を潰さないよう完全に除去した後、包丁の背を使って胃袋の中に残った未消化物や粘液を丁寧に扱き出します。さらに、薄い塩水や酒を用いて余分なぬめりと血糊を洗い流し、最後に熱湯に数秒くぐらせる「霜降り」を施して冷水に落とすことで、生臭さを完全に遮断します。この徹底した下処理を経た肝は、不快な雑味が一切消え去り、内臓特有の芳醇なコクと心地よい食感だけが際立つ極上の逸品へと昇華するのです。