当時の裁判は、遺族にとって二重の地獄だった。被害者は証拠品として扱われ、遺影を抱えて入廷することすら拒まれる始末。光市母子殺害事件の発生直後、警察や検察の捜査資料にアクセスする権利も、法廷で意見を述べる機会も、遺族には何一つ与えられていなかった。
「自分たちは何のために裁判所に通っているのか」。裁判官の冷ややかな視線と、加害者側の機械的な主張。その狭間で葛藤しながらも、彼は諦めなかった。メディアの過剰な取材攻勢に晒されながらも、自らの顔と名前を隠さず表舞台に立ち続けた決断が、それまで声を出せなかった全国の事件被害者遺族に希望の光を灯した。