吉井和哉と元妻の歩みは、日本のロック史におけるサクセスストーリーの光と影をそのまま体現しています。二人が婚姻関係を結んだのは、THE YELLOW MONKEYがメジャーデビューを果たす前後の1992年頃。当時の吉井は金銭的にも困窮を極めており、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続ける日々でした。そんな極限状態の中で吉井を物心両面から献身的に支え続けたのが、一般女性であった前妻です。
バンドが『JAM』や『太陽が燃えている』などの大ヒットでトップアーティストへと駆け上がる中、家庭では1男3女という4人の子宝に恵まれました。喧噪の東京を離れ、自然豊かな静岡県の富士山麓に広大な土地を購入して居を構えたのも、「子供たちを伸び伸びと育てたい」「愛する家族に安心できる環境を与えたい」という吉井の強い家族愛によるものでした。
しかし、家庭の平穏と反比例するように、吉井の内面は激しく摩耗していきます。2007年に上梓された吉井自身の自伝『失われた愛を求めて』では、当時の凄まじい心理的乖離が赤裸々に綴られています。家庭人としての平穏を愛しながらも、ステージに立つロックスターとして狂気と刺激を求め続けなければ表現が枯渇するという自己矛盾。その歪みは、次第に激しい女性問題や家庭への不実という形で噴出していきました。
自伝の中で吉井は、「自分が家庭を壊してしまった」「最低な裏切りを重ねていた」と一切の弁解をせず、自身の身勝手さと弱さを率直に告白しています。元妻は吉井の激しい浮気癖や不在にも長く耐え忍び、彼が音楽に没頭できるよう配慮を続けていましたが、バンドの活動休止(2001年)と解散(2004年)に向かう精神的な暗黒期の中で、二人の夫婦関係は修復不可能な段階へと達しました。別居生活を経て、2007年頃に正式な離婚が成立することとなったのです。