五・一五事件によって政権から転落した立憲政友会は、その後どのような結末を迎えたのでしょうか。政党としての寿命が尽きるプロセスは、壮絶な内部崩壊劇でした。
1937年に日中戦争が泥沼化すると、国家総動員体制の構築が急務とされ、政治の主導権は完全に軍部と革新官僚へと移行しました。この局面において、政友会は挙党一致で軍部に対峙するどころか、中島知久平を推す「革新派(親軍派)」と、鳩山一郎らが推す「正統派(久原房之助総裁)」、さらに「中立派」に三つに分裂し、醜悪な主導権争いに終始しました。
そして1940年(昭和15年)、近衛文麿を中心とする「新体制運動」が急速に盛り上がると、政党無用論の嵐が吹き荒れます。民政党が解党を決定する中、政友会の各派も「新体制に乗り遅れては政治的発言権を完全に失う」という恐怖から、競うように解党手続きを進めました。1940年7月から8月にかけて政友会は正式に解散。所属議員のほぼ全員が、国民を戦争動員するための翼賛組織である「大政翼賛会」へと雪崩を打って合流していったのです。
伊藤博文が撒いた議会制民主主義の種は、40年の歳月を経て、権力への執着と保身の果てに自ら看板を下ろすという皮肉な幕切れを迎えました。
【プロの結論】近代政党の興亡から2026年の私たちが学ぶべき教訓
政治学および歴史社会学の視点から立憲政友会の軌跡を総括すると、現代の日本政治にも通底する普遍的な教訓が浮き彫りになります。政友会が示した功罪の検証から、有権者が歴史を見極めるための判断基準を導き出すことができます。
- 歴史から学ぶべき人(向いている視点):政党の「スローガン」ではなく、「予算の配分先」「支持基盤との利害関係」「対立政党との力学」を構造的に見抜きたい人。
- 歴史を見誤る人(慎重になるべき視点):「民主主義勢力=正義、軍部=悪」といった単純な勧善懲悪の物語で歴史を消費し、経済危機やポピュリズムが議会制民主主義を内側から腐食させる力学に目を向けない人。
政友会が示した最大の教訓は、「政敵を倒すために国家の根本ルール(統帥権の解釈など)を安易に弄び、民衆の不安を煽ってポピュリズムに迎合した政党は、最終的に自ら解き放った怪物に呑み込まれる」という冷徹な因果律です。