大田田根子の正体とは?猛威の疫病を鎮めた大物主の末裔と記紀の謎

大田田根子の正体とは?猛威の疫病を鎮めた大物主の末裔と記紀の謎

大田田根子の正体とは?猛威の疫病を鎮めた大物主の末裔と記紀の謎とはどのようなものなのか? 詳しい意味を整理してお届けします。

国家崩壊の瀬戸際で繰り広げられた大田田根子の神話の経緯は、神聖なサスペンス劇さながらの様相を呈しています。『日本書紀』崇神天皇7年、天皇は神意を問うべく神浅茅原(かむあさじはら)にて八十万神(やそよろずのかみ)を集め占いを命じました。その際、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に大物主神が神懸かりし、「我が子・大田田根子に私を祀らせれば、国は直ちに平らぐ」と告げたのです。

さらに同年の秋、天皇の夢枕に自ら神威を放つ大物主神が立ち、同様の託宣を下します。これが大田田根子の夢告の真相として知られる決定打でした。神が自ら「この者でなければ私の怒りは解けない」と名指しで祭祀者を指定した記録は、日本の記紀神話全体を見渡しても極めて異例です。

朝廷は直ちに全国へ勅使を派遣し、該当する人物の捜索を開始しました。ほどなくして「茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえむら)」にて見出された男に問いただしたところ、彼は「父は大物主神、母は活玉依媛(いくたまよりびめ)」と名乗り出たのです。崇神天皇は「ついに我が願いは叶った」と大いに歓喜し、大田田根子を三輪山の祭主へと抜擢しました。

崇神天皇8年12月、大田田根子によって大物主神の祭祀が執り行われると、あれほど猛威を振るっていた疫病はたちまち終息。国内は鎮まり、五穀は豊かに実って百姓の暮らしは回復しました。この奇跡的な反転により、彼は「三輪君(みわのきみ)」の始祖として歴史に永遠の名を刻むことになります。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。