昭和45年(1970年)にレコード発売され、日本中を涙で包んだ鶴田浩二の『同期の桜(台詞入り)』。原曲は西条八十作詞・大村能章作曲による昭和14年の軍歌『戦友の唄(二輪の桜)』ですが、海軍飛行予科練習生や特攻隊員たちの間で自然発生的に替え歌として口ずさまれ、死生観を共有する悲劇のアンセムへと昇華していきました。
鶴田浩二がレコードに吹き込んだ語りは、単なる軍歌の添え物ではなく、戦場に散った友への肉声そのものでした。今なおファンの間で語り継がれる台詞の骨子は、次のような悲痛な独白で構成されています。
「貴様と俺とは同期の桜……同じ航空隊の庭に咲く……。咲いた花なら散るのは覚悟……みごとな散り際見せてやる……。おい、あいつが言ってたっけな。『俺が先に逝ったら、靖国神社の桜の木の下で待ってるぞ』って……。靖国神社に行って、待っててやるんだ……」
この台詞で鶴田浩二が意図したのは、勇ましい軍国精神の誇示ではありません。春に咲いた桜が惜しげもなく散るように、20歳前後の若さで生命を断たなければならなかった若者たちの無念と孤独です。歌詞にある「離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」という約束は、死を目前にした若者たちが互いに言い聞かせた唯一の精神的救済でした。鶴田浩二は台詞を通じて、国家の美名の下に散った個人としての「あいつ」の顔を呼び戻し、戦後の繁栄のなかで置き去りにされた死者たちの魂を現世に繋ぎ止めようとしたのです。