前方後円墳の迫力は、その内部構造と表面装飾の精緻な土木技術によって支えられていました。時代によって埋葬施設の構造は大きく変化しています。
古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)は、墳頂から深く掘り下げた穴に長大な木棺を納め、周囲を石と粘土で固める「竪穴式石室(粘土槨)」が主流でした。副葬品には三角縁神獣鏡などの銅鏡、勾玉、刀剣といった呪術的・司祭的なアイテムが並び、一度埋葬すると二度と開けられない「一代限りの聖域」でした。
古墳時代後期(6世紀以降)になると、朝鮮半島から導入された「横穴式石室」が普及します。通路(羨道)と部屋(玄室)で構成され、追葬が可能な家族墓へと変化しました。副葬品も実用的な馬具や武具、金銅製の装身具へとシフトしていきます。
墳丘の表面は、斜面崩壊を防ぐとともにピラミッドのように白く輝かせる「葺石(ふきいし)」が無数に敷き詰められ、テラスや頂部には魔除けや結界の役割を果たす「円筒埴輪」や祭祀の様子を模した「形象埴輪」が整然と並べられていました。数万人を動員したとされる土木工事の精度は、現代の土木工学の視点から見ても極めて高度なものです。