井伏鱒二『山椒魚』結末削除の真相|名ラストを消した文豪の葛藤

井伏鱒二『山椒魚』結末削除の真相|名ラストを消した文豪の葛藤

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『山椒魚』の物語は、極めて不条理かつユーモラスな設定から幕を開けます。主人公の山椒魚は、棲家である小さな岩屋の中で遊泳と瞑想を繰り返すうちに、体が成長しすぎて岩屋の出口から頭を出せなくなってしまいました。外の世界ではメダカや小魚たちが自由に泳ぎ回り、水草の胞子は光に向かって発芽していきます。出られない現実を直視した山椒魚は、烈しい狼狽と怒りに駆られます。

ここで発せられるのが、近代日本文学屈指の導入句として知られる「なんたる処置だろう」という名言です。自らの不注意を棚に上げ、岩屋の構造や自然の摂理に憤りをぶつける山椒魚の姿には、滑稽さと同時に、自己の殻に閉じこもる人間の矮小なプライドが見事に凝縮されています。

外界への呪詛を募らせた山椒魚は、ある日、岩屋に迷い込んできた一匹の蛙を窪みに押し込め、出口を塞いでしまいます。「お前もここから出られないのだ」と嘲笑する山椒魚に対し、蛙もまた一歩も引かずに応戦。二匹の泥沼の罵倒劇が始まります。互いに一歩も動けぬまま、夏が過ぎ、秋が訪れ、冬の氷が張るまでの長い歳月を、彼らは憎悪と意地のぶつかり合いの中で過ごすことになります。

そして迎えるのが、かつて日本中の読者の胸を打ったあの名ラストシーンです。翌年の秋、空腹と疲弊で瀕死状態に陥った蛙に対し、山椒魚が声をかけます。弱り果てた蛙が絞り出すように返した言葉――「今でもべつにお前のことを怒ってはゐないんだ」。この静かな許しの言葉に、山椒魚は己の傲慢さを悔いて深い溜息をつき、二匹の間に言葉を超えた和解と魂の共鳴が生まれる、というのが初出以来親しまれてきた物語の結末でした。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。