この街を真に理解するためには、歴史のレイヤーを紐解く必要がある。かつては「釜ヶ崎」の通称で親しまれ、戦後の復興期から大阪万博の建設に至るまで、巨大な労働力を供給するエンジンだった。1960年、異彩を放つ映画監督の大島渚は、この街の熾烈な生き様と悲哀を映画『太陽の墓場』で鮮烈に描き出し、日本中に大きな衝撃を与えた。
スクリーンに焼き付けられた荒々しくも人間臭いエネルギーは、今も街の地層深くに眠っている。単なる危険地帯でも、単なる観光地でもない。過酷な労働と生活の中で育まれた独自のコミュニティ文化こそが、他にはない独特の空気感を形成しているのだ。