この事故は、日本の交通刑事司法を根底から揺るがす契機となりました。最大の争点は、2001年に新設されたばかりの危険運転致死傷罪が適用されるか否かでした。
検察側は「アルコールの影響で正常な運転が困難な状態であった」として危険運転致死傷罪(当時の最高刑は懲役20年、併合罪で25年)の成立を主張し、懲役25年を求刑。これに対し弁護側は「前方を注視していなかった過失に過ぎず、酒酔いによる判断能力の喪失ではない」と主張し、刑の軽い業務上過失致死傷罪(当時の最高刑は懲役5年)にとどまると争いました。
一審の福岡地裁が下した「懲役7年6月」という判決は、当時の社会に巨大な失望と激震を与えました。どれほど酒を飲んで速度を出していても、ふらつき運転の痕跡が立証できなければ危険運転が適用されないという法の壁に、多くの市民が理不尽さを突きつけられたのです。
しかし二審の福岡高裁は、現場の痕跡や同乗・同席者の証言を緻密に再検証。「飲酒によって前方の危険を認識して回避操作を行う能力が著しく減退していた」として、危険運転致死傷罪の成立を認めました。最高裁がこの高裁判断を全面的に支持したことで、「隠蔽のために水を飲んで逃げ得を狙う悪質な飲酒ドライバー」への厳罰基準が確立されることになりました。